【ずらし旅・見学準備】六波羅蜜寺では空也の像と共に空也の刻んだ仏像が見られる

朝廷主導のもと、貴族たちを中心に広められてきた仏教を、自ら社会貢献しながら民に広めていった空也は、異端の僧であったといえるでしょう。

難解な経典を理解できなくても「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏様お助けください)」と唱えれば極楽浄土へ行けるという「市の聖」空也の教えは、大衆に受け入れられ、大いに広まっていきました。

六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)

名称  補陀洛山(ふだらくさん) 普門院 六波羅蜜寺
住所 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町81番地の1
宗派 真言宗 智山派
本尊 十一面観音(秘仏、国宝)
開山 空也
創建 951年
開基 村上天皇
国宝 木造十一面観音立像(951年に空也が創建した西光寺の本尊)
重要文化財 本堂
木造空也上人立像他多数
国の重要無形文化財 「空也踊躍念仏」
拝観料 大人600円
公式サイト https://rokuhara.or.jp/
六波羅蜜寺 · 〒605-0813 京都府京都市東山区轆轤町81−1
★★★★☆ · 仏教寺院

空也の生涯

903年 醍醐天皇の第二皇子として誕生(六波羅蜜寺公式サイト)とも言われる。

922年 尾張国分寺にて出家し、空也と名乗る。
若い頃から在俗の修行者として諸国を廻り、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路・橋・寺院などを造るなど社会事業を行う。

938年 京都洛中の東市などを拠点にして「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽浄土へ行けると説き大人気に。浄土宗、浄土真宗の源流になっていく。

948年 比叡山で天台座主・延昌のもとに受戒し、「光勝」の号を受ける。
ただし、空也は生涯超宗派的立場を保っており、天台宗よりもむしろ奈良仏教界、特に思想的には三論宗との関わりが強いという説もある。

950年 金字大般若経書写を発願する。

951年 十一面観音像を造立、以後道場を西光寺と称した。
梵天・帝釈天像、四天王像を造立(梵天・帝釈天と四天王のうち一躯を除き、六波羅蜜寺に現存)。

空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。

963年 鴨川の河原にて、僧600名を集めて「金字大般若経供養会」を修する。
当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

この際に三善道統の起草した「為空也上人供養金字大般若経願文」が伝わる。
これらを通して藤原実頼・藤原師氏ら公卿との関係も深める。

空也には、京都に疫病が流行したとき、空也自らが病魔退散を願って始めたとされる「空也踊躍念仏」が、現代まで続く踊り念仏として伝わっている。

972年 東山西光寺(京都市東山区、現在の六波羅蜜寺)において、70歳にて示寂。

空也の皇服茶

空也が民に与えた茶は、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じたものと伝えられています。

村上天皇も服されたことから皇服茶(おうぶくちゃ)として伝えられ、現在でも正月三日間授六波羅蜜寺で提供されています。

村上天皇は醍醐天皇の皇子だから、伝えられていることが事実なら空也とは兄弟になるのね。皇室の系図には空也上人の名は残っていないけど。

空也と鹿

空也が鞍馬山に閑居後、その鳴声を愛した鹿を、定盛という猟師が射殺した。
これを知った空也は大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を皮衣とし、角を杖頭につけて生涯離さなかったという。

また、鹿を射殺した定盛も自らの殺生を悔いて空也の弟子となったという。

空也亡き後の六波羅蜜寺

977年 比叡山延暦寺の僧・中信が中興して六波羅蜜寺と改称し、天台宗に属する天台別院とした。名称の由来は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来する。

平安時代末期には平正盛が付近に阿弥陀堂(現・常光院)を建立して以来平家との繋がりができ、平忠盛が当寺の塔頭に軍勢を駐屯させ、やがて境内の隣に六波羅殿と呼ばれる館が建築され、平清盛(1118年-1181年)によって当寺は平家の屋敷群に取り込まれてしまい、当寺の内外一帯に平家一門の屋敷が5,200棟余りも営まれた。

1183年 平家が都落ちした際に炎上し、当寺の諸堂も類焼してしまい、本堂のみ焼失を免れた。
この後、当地には鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれた。

当寺は源頼朝や足利義詮により再興が行われ、本堂は南北朝時代の貞治2年(1363年)に再建されている。しかし、境内は度々火災にあっている。

文禄年間(1593年 – 1596年)に、豊臣秀吉による方広寺大仏(京の大仏)建立の際に本堂が修理されて向拝が付け加えられ、寺領70石が安堵された。この際に真言宗智積院の末寺となっている。

江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域が縮小した。寺の周囲は民家に囲まれて境内は狭くなっている。

1969年に本堂が解体修理されたが、その際に基壇から『今昔物語集』や「山槐記」などに記載されている泥塔が約8,000基出土している。

六波羅蜜寺の仏像

  • 本尊 十一面観音(秘仏・国宝)12年に1回御開帳(11月?)
  • 木造空也上人立像(以下全て重要文化財)鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。
  • 木造僧形坐像(伝・平清盛像) 鎌倉時代。平清盛とされる経を持った僧形の像である。
  • 木造地蔵菩薩坐像(伝・運慶作)  鎌倉時代。
  • 木造伝・運慶坐像、伝・湛慶坐像  鎌倉時代。前記の地蔵菩薩坐像とともに地蔵十輪院に伝わった。
  • 木造四天王立像 4躯  平安時代。本尊の十一面観音像とともに、空也による創建期の遺作である。4体のうち、増長天像のみは鎌倉時代の補作である。
  • 木造薬師如来坐像   平安時代。天台様式がみられ、中信による中興時の像と考えられる。
  • 木造地蔵菩薩立像   平安時代。六波羅地蔵堂に安置されていた。左手に頭髪を持ち、鬘掛(かつらかけ)地蔵と呼ばれ信仰されている。『今昔物語集』にもこの像に関する説話が取り上げられるなど、古来著名な像である。
  • 木造弘法大師坐像   鎌倉時代。快慶の弟子長快の作。
  • 木造閻魔王坐像   鎌倉時代。
  • 木造吉祥天立像   鎌倉時代。

アクセス

清水五条駅(京阪本線)より徒歩10分。
京都市営バス(80・86・急行100・急行106・急行110・202・206・207号系統)・京阪バス(83・83A・85・85A・86・86A・87・87A・87B・88・88B・88C系統)「清水道」バス停より徒歩7分

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