長谷川等伯(1539-1610)、狩野探幽(1602-1674)、尾形光琳(1658-1716)、伊藤若冲(1716-1800)、曾我蕭白(1730-1781)、円山応挙(1733-1795)…みなが憧れる『画聖(カリスマ)』であった雪舟は、死後もその名声は高まり続けるのでした。
雪舟プロフィール
雪舟 本名 | 不明 |
生年~没 | 1420年~1506年8月8日(室町時代)(諸説あり) |
何をした人 | 水墨画家・禅僧 |
生誕 | 備中国(現在の岡山県総社市)武家・小田氏 |
? | 井山宝福寺 (岡山県総社市)へ。涙の鼠の逸話が残る。 |
1430年ごろ | 京都相国寺へ。 春林周藤に師事し禅宗の修行を積むとともに、天章周文に絵を学んだ。 |
1454年 | 大内氏の庇護を受け周防国(山口県)へ |
1467年(47歳) | 遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学んだ。 |
1469年 | 帰国。周防国のほか豊後国や石見国で創作活動を行う。 |
1481年 | 秋から美濃国(岐阜県)へ旅行。 |
1501年(81歳) | 丹後国(京都府)の天橋立に赴き『天橋立図』を残している。 |
国宝 | 『天橋立図』(1501年以降?京都国立博物館) 『秋冬山水画』(東京国立博物館) 『四季山水図巻』(晩年・京都国立博物館) 『破墨山水図』(1495年・東京国立博物館) 『慧可断臂図』(1496年・ 京都国立博物館) 『山水図』(個人蔵) |
雪舟涙の鼠
宝福寺に入った幼い日の雪舟が、絵ばかり好んで経を読もうとしないので、寺の僧は雪舟を仏堂の柱に縛りつけてしまいました。
しかし床に落ちた涙を足の親指につけ、床に鼠を描いたところ、僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許しました。
初出は江戸時代に狩野永納が編纂した『本朝画史』(1693年刊)で、後年の創作という説もある。
雪舟の庭
雪舟が築いたものと伝えられる庭園は各地にあり、医光寺、萬福寺、常栄寺、旧亀石坊庭園の雪舟庭は雪舟四大庭園と呼ばれる。
芬陀院 京都府京都市東山区 東福寺
医光寺 島根県益田市染羽町(国の史跡及び名勝)
萬福寺 島根県益田市東町(国の史跡及び名勝)
小川家雪舟庭園 島根県江津市和木町
西方院跡 広島県廿日市市宮島 大聖院付近
常栄寺 山口県山口市宮野下(国の史跡及び名勝)
普賢寺 山口県光市室積
旧亀石坊庭園 福岡県田川郡添田町 英彦山(名勝)
魚楽園 福岡県田川郡川崎町(名勝)
吉峯家雪舟庭 大分県中津市山国町中摩
善生寺 山口県山口市古熊
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