鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏の孫・義満は、南北朝の統一、公武一体を進め、権力を手にして巨万の富を築きます。
征夷大将軍の職を退き出家し、「日本国王」と名乗って、明との勘合貿易を開始。
義満の築いた『北山文化』を代表する建築が、金閣寺です。
金閣寺
名称 | 北山 鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ) |
住所 | 京都府京都市北区金閣寺町1 |
宗派 | 臨済宗相国寺派 (相国寺の塔頭) |
人物 | 足利義満 |
寺紋 | 五七桐。足利尊氏が後醍醐天皇から賜ったもの。 |
開山 | 1420年 夢窓疎石(勧請開山:名目上の開山) |
建立 | 1397年 西園寺家から西園寺を譲り受け北山山荘とする |
本尊 | 聖観音(方丈本尊) |
国宝 | 国宝金閣は1950年消失。1955年再建。 |
重要文化財 | 伊藤若冲の障壁画をはじめ、大部分の指定文化財は本山である相国寺が管理しており、承天閣美術館で保管されている。 |
特別名勝 | 鹿苑寺庭園 |
拝観料 | 500円 |
公式サイト | https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/ |
1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されました。
金閣寺の歴史
1397年 が北山に山荘を造営し、は義満死後その法名をとって鹿苑寺となりました。
1224年 藤原公経(1171年~1244年10月2日)西園寺を建立、山荘を営む。
1397年 足利義満(1358年9月25日~1408年5月31日)が譲り受け『北山山荘』とする
1420年 義満の遺言により北山第を禅寺とする。
義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。
夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)とした。
金閣寺の見どころ
金閣(鹿苑寺舎利殿)
- 一層:公家風の寝殿造 宝冠釈迦如来坐像、足利義満坐像
- 二層:武家風の書院造 観音菩薩坐像(岩屋観音)、四天王像
- 三層:禅宗様 仏舎利
庭園
鹿苑寺(金閣寺)庭園は国の特別名勝。
鏡湖池を巡る池泉回遊式庭園は、西芳寺(苔寺)を模したもの。
【金閣寺】
【西芳寺】
芦原島の細川石
義満が整えた護岸 すはま
アクセス
京都市バス『金閣寺道』下車
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