【ずらし旅・見学準備】南禅寺・金地院

 

南禅寺

名称 南禅寺
住所 京都府京都市左京区南禅寺福地町86
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 釈迦如来
開山 無関普門(大明国師)
開基 亀山天皇
創建 1291年(鎌倉時代)
人物 1605年(270世住職)金地院崇伝
国宝 方丈、亀山天皇宸翰禅林寺御祈願文案
重要文化財 三門、勅使門、仏像・絵画等多数
国の名勝 小堀遠州作 庭園
拝観料 三門、南禅院、庭園それぞれ大人600円
公式サイト https://nanzenji.or.jp/
南禅寺 · 〒606-8435 京都府京都市左京区南禅寺福地町86
★★★★★ · 仏教寺院

南禅寺の歴史

1264年 草創期 亀山天皇、離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)を建てる。
     「上の御所」(上の宮)と「下の御所」(下の宮)

1287年 亀山上皇が持仏堂を建立し「南禅院」と名付けた(のちの塔頭・南禅院。)

1287年 亀山上皇、出家して法皇に。

1299-1302年 禅林寺殿を寺に改め、当時80歳の無関普門(妖怪変化を退散させた実績)を開山としてこれを龍安山禅林禅寺と名付けた。

1313年 一山一寧が後宇多上皇の懇請に応じ、上洛して南禅寺3世となる。

1325年 夢窓疎石が南禅寺に住む。

1334年 後醍醐天皇は南禅寺を五山の第一とする。

1385年 足利義満は自らの建立した相国寺を五山の第一とするために南禅寺を「別格」として「五山の上」に位置づけ、更に五山を京都五山と鎌倉五山に分割している。

1393年の火災と1447年の南禅寺大火に見舞われ、主要伽藍を焼失したがほどなく再建。

1467年 応仁の乱勃発。伽藍をことごとく焼失してからは再建も思うにまかせなかった。

1605年 以心崇伝、入寺。

1606年 豊臣秀頼によって法堂が再建されている。

以心崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。
塔頭の金地院に住した崇伝は、江戸幕府から「僧録」という地位を与えられている。
これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。
以後、金地院の住持は金地僧録と呼ばれ、絶大な権勢を誇った。
1611年には、豊臣秀吉が天正年間(1573年 – 1593年)に建てた女院御所の対面御殿が下賜され大方丈とされた。

1888年 境内を通る琵琶湖疏水の水路閣が建設された。田辺朔郎の設計。

1895年 法堂が焼失、1909年に再建された。

みどころ

方丈(国宝)

大方丈:慶長の御所建て替えに際し、天正年間(1573年 – 1593年)に豊臣秀吉によって建てられた旧御所の女院御所の対面御殿を慶長16年(1611年)に下賜されたもの。

小方丈:寛永年間(1624年 – 1645年)に建てられた伏見城の小書院。

三門(重要文化財)

1628年寄進

石川五右衛門(1558~1594)がこの山門から「絶景かな」はフィクション

東福寺、久遠寺とともに三大門と呼ばれる。

庭園

方丈前庭「虎の子渡しの庭」は小堀遠州作。

西芳寺、天竜寺とともに三大庭園と呼ばれる。

琵琶湖疏水「水路閣」

1888年(明治21年)築。レンガ造りのアーチ橋。写真撮影の有名なスポット。

南禅寺境内マップ

 

アクセス

地下鉄東西線 蹴上駅徒歩10分。ねじりまんぼを通り抜けると近道。

市バス 東天王寺駅 または 南禅寺・永観堂 より徒歩10分

金地院

南禅寺の塔頭寺院、金地院崇伝の住居

庭園(国の特別名勝)

小堀遠州の作。

鶴島・亀島

西洋式の造園術

  • 左右対称
  • 刈り込まれた樹木

東照宮(重要文化財)

三尊石の奥にある東照宮は徳川家康の遺言で建てられ、家康の遺髪と念持仏を祀っています。
小堀遠州の策。権現造り。

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました