金地院崇伝(1569年ー1633年)は『黒衣の宰相』として徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えました。
25年間の権勢は小堀遠州(1579年-1647)、狩野探幽(1602年-1674年)、長谷川等伯(1539年ー1610年)など、時代を代表する芸術家も
金地院
名称 | 金地院(こんちいん) |
住所 | 京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
開山 | 大業徳基 |
開基 | 足利義持 |
創建 | 1394年 – 1427年 |
人物 | 以心崇伝(1569年ー1633年) |
国宝 | 紙本墨画溪陰小築図(1413年)東京国立博物館寄託
絹本著色秋景山水図・冬景山水図 (12世紀)京都国立博物館寄託 |
重要文化財 | 本堂(方丈)、茶室(八窓席)、東照宮(本殿、石の間、拝殿) |
国の特別名勝 | 金地院庭園(鶴亀の庭) |
拝観料 | 通常拝観料500円 特別拝観料700円 |
歴史
南禅寺の塔頭寺院。
金地院は15世紀に大業和尚が開いた禅寺ですが、16世紀の終わりごろ、江戸幕府の法律や外交を担った僧・以心崇伝が南禅寺塔頭に移建しました。
贅を尽くしたこの寺院はブランド物満載、という印象です。
まずは小堀遠州の庭園から。
金地院のみどころ:小堀遠州の『鶴亀の庭園』
特別拝観を選ぶと、丁寧な解説付きで庭園、貴重な茶室、襖絵などを見せていただくことができます。絶対におすすめ。
手前の白砂は宝船と海を表しているそうです。
向かって右に『鶴島』、真ん中の長方形の平石は『遥拝石』、左は『亀島』です。
いやー、めでたさ てんこ盛りですね!
亀島の上の木は、奇怪な形ですね。
石の上に植えられたために栄養不足でこんな形になり枯れてしまったのでしょうか…
遥拝石はふつう、釈迦三尊石を拝むためのものですよね。
でもここ金地院では、遥拝石のかなたに黒いお社がそびえているんです。
徳川家康の遺髪と念持仏を祀った東照宮です。
金地院のみどころ:東照宮
京都に残る唯一の権現造りの建造物です。
東照宮の天井画は鳴き龍。狩野探幽の筆です。
壁を飾る三十六歌仙の額は土佐光起(とさみつおき)。朝廷の絵所預職、日本画の大家です。
これでもかと言わんばかりのブランド攻め。まだまだあるぞ
金地院のみどころ:小堀遠州の茶室『八窓席』
特別拝観では室内の撮影をされないよう、手荷物はすべてロッカーに入れることになります。
パンフレットを載せておきましょう。
パンフレットの写真のように、段違いの障子窓が3つ、床の間に2つ、そして廊下に面したにじり口とその上の障子窓で合計8つの窓があることから『八窓席』と呼ばれているそうです。
この茶室の床は奥行きが浅いのですが、それは裏側にもう一つの茶室が作られているからです。
もう一つの茶室への通路の上部は優美な曲線を描き、これらの細々した工夫は小堀遠州自らの案であったそうです。
金地院のみどころ:長谷川等伯『猿猴捉月図』
長谷川等伯の『猿猴捉月図(えんこうそくげつず)』は、水に映る月を取ろうと長い手を伸ばす猿の姿が描かれています。
毛の1本1本が丹念に描かれ、毛皮の柔らかさが伝わって来そうです。
「実体のないもの(水に映る月)を追い求めると、命を落とすことになる(木の枝が折れてしまう)」という仏教の教えを伝えているものだとか。
金地院のみどころ:狩野探幽の襖絵
方丈の襖絵『仙人遊楽の図』『松・梅の図』は狩野探幽、尚信の描いたもの。
wikipediaにも使用されている金地院崇伝の絵も、狩野探幽の描いたもの。
金地院所蔵のものです。
金地院のみどころ:方丈正面 山岡鉄舟の扁額
『鶴亀の庭』から方丈正面を見上げると立派な額が。
山岡鉄舟が書いたもので「布金道場」と書いてあるそうです。
意味は「金が敷き詰められた道場」。
『金地院』とも似ていますね。
贅を尽くした場ではあるが、禅宗の道場である、と書かれているような気がしました。
意味をご存じの方は教えてください。
金地院のみどころ:蓮池
東照宮への道に蓮池がありました。
京都を旅していると、刈り込まれたツツジが『阿弥陀様のお迎えの雲』に見えてきますので、どこを見てもこの世ならぬ風景のようです(笑)
このあとは
徒歩で野村美術館の前を通って永観堂(禅林寺)へ。
10分くらい?
コメント