古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる紅葉の名所。
新緑の永観堂もまた、しっとりと落ち着いた風情があり素敵でした。
禅林寺(ぜんりんじ)
名称 | 聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん )無量寿院(むりょうじゅいん) 禅林寺別名:永観堂 |
住所 | 京都府京都市左京区永観堂町48 |
宗派 | 浄土宗西山禅林寺派 総本山 |
本尊 | 阿弥陀如来(みかえり阿弥陀) |
創建 | 853年 |
開山 | 真紹 |
国宝 | 絹本著色山越阿弥陀図 – 鎌倉時代の仏画。東京国立博物館に寄託。 金銅蓮華文磬(こんどう れんげもん けい) – 東京国立博物館に寄託。 |
重要文化財 | 木造阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)、絵画等多数 |
公式サイト | http://www.eikando.or.jp/nenpyou.html |
永観堂の歴史
空海(弘法大師)の高弟である真紹僧都が、都における真言宗の道場の建立を志し、毘盧遮那仏と四方四仏を本尊とする寺院を建立したのが起源である。
853年 真紹は仁歌人・文人であった故・藤原関雄の山荘を買い取る。
863年 清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。
【7世住持の永観(ようかん)律師(1033年 – 1111年)】
1044年 永観、禅林寺の深観(花山天皇皇子)に弟子入りし、東大寺で南都六宗のうちの三論宗を学ぶ。
三論宗には奈良時代の智光以来の浄土教の思想があるが、浄土の教えに感動した永観はやがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。
1072年 師・深観の跡を受けて禅林寺に戻る。
永観は人々に念仏を勧め、また、東五条の悲田院の近くの薬王寺に阿弥陀像を安置して、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。
さらに当寺の境内にも悲田院(薬王寺)と施療院を建立し、梅の木を沢山植えて病人に薬用としてその実を与えた。
【見返り阿弥陀の伝承】
1082年2月15日早朝。
当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。
驚いた永観が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。
阿弥陀如来を収めた厨子は、左側の扉を開け放ち、振り返った阿弥陀様の優しいお顔を拝見できるのじゃ。
今でも毎年2月14日には、夜を徹しての念仏行道が行われているよ!(要予約)
1467-1477年 応仁の乱の戦火によって大きな被害を受ける
1497年 後土御門天皇により再興をするようにとの命が出て、復興に着手された。
1607年 豊臣秀頼により、摂津国四天王寺の曼荼羅堂が移築されて阿弥陀堂とされている。
1876年 禅林寺は浄土宗西山派の東本山となる。
1919年 浄土宗西山派はそれぞれの考えの違いから浄土宗西山光明寺派(西山浄土宗)、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の三つに分裂し、禅林寺は浄土宗西山禅林寺派の総本山となっている。
永観堂の見どころ:総門
『もみじの永観堂』とはひっそりとしたお寺かと想像していたので、立派な総門にはびっくり。
歴史のあるお寺ですからね。総門は1840年の再建です。
境内は広く、中門まで結構な距離があります。
永観堂の見どころ:釈迦堂(方丈)
釈迦堂(方丈)は本格的な書院造り。
正面に釈迦如来、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩の釈迦三尊が安置されています。
『二河白道図(にがびゃくどうず)』に描かれているのは、
- 怒涛逆巻く大河(貪りをあらわす)と
- すべてを焼き尽くす猛烈な火の河(瞋りをあらわす)の
- 真ん中に描かれた白く細い道(凡夫のおぼつかない信仰)。
私たち衆生は一心に阿弥陀仏を念ずることによって、細い白道を渡って極楽往生を遂げることができるという教えです。
釈迦堂の6間は、『松水禽図』『群仙図』『楓雉子図』など華やかな襖絵で彩られています。
英語表記は「sliding door panels, color and gold leaf on paper」。
襖はスライディング・ドアパネルかあ。その通りだな(笑)
庭園も美しい!
築地塀は格式の高さを表す五本線です。
磨きこまれた硝子窓も、硝子越しに見る新緑も美しい。
細部まで美しいもので満たされています。
永観堂の見どころ:唐門
帝の使いが出入りするときに使われた勅使門。
白い盛り砂は、勅使が踏んで身を清めるためのものだとか。
永観堂の見どころ:阿弥陀堂
『見返り阿弥陀』を見る目的で永観堂を訪れた人は、満足できるでしょう。
左後ろを振り向く姿勢の阿弥陀如来の厨子は、正面と左が開かれ、じっくりと拝観できます。
極彩色の内部は華やか!格天井にも花の絵が描かれています。
平日に訪れたためか、放生池の近くではもみじの樹のお手入れがされていました。
池に落ちる青もみじの枝、水面に映る青空が綺麗でした。
永観堂の見どころ:臥龍廊
臥龍廊の手前の水琴窟。昔は水音がしたのでしょうか。
多くの伽藍をつなぐ長い長い臥龍廊。
曲線を描く階段はまさに匠の技。
高台寺の観月台を思わせる造り。
やはり、ここから月を眺めたのでしょうか。
眼下に広がる京の都。
永観堂の七不思議
永観堂の七不思議とは以下の七つです。
1.抜け雀 古方丈の欄間に描かれた雀の絵。一番右の欄間には5羽いたはずの雀が4羽しかいません。あまりにもリアルに描かれた雀が、飛んで行ってしまったというお話です。
2.悲田梅 釈迦堂前にある梅の木。永観律師は貧しい民に薬として梅の実を与えていて、かつてはこの周りは梅林だったそうです。今に残る1本と言われていますが、約1000年前の木ということになります…
3.火除けの阿弥陀如来 1467年から1477年まで続いた応仁の乱。永観堂も多くの伽藍が焼失しましたが、瑞紫殿に安置された阿弥陀如来像だけは、右手が焦げただけで焼け残ったそう。永観堂では、弘法大師・空海が火除けの願をかけて彫ったものと伝えられています。
4.臥龍廊 ここ永観堂の臥龍廊は、曲線がうねり、龍の姿を現しているかのようです。
5.三鈷(さんこ)の松 この松の葉は二本でなく三本で一組、しかも葉が長いのです。密教の法具『三鈷杵(さんこしょ)』に見立てて『三鈷の松』と呼ぶようになったとのこと。この珍しい葉は、福を呼ぶ・お金が貯まるといったご利益があるらしく、永観堂の売店で無料でいただくことができます。
6.木魚蛙 三鈷の松の近くで鳴く蛙の鳴き声は、木魚のような音で鳴くと言われています。聞いてみたいですね。
7.岩垣もみじ 永観堂裏の急斜面から生えている紅葉。同寺が建立される以前、この地に住んだ藤原関雄(ふじわらのせきお)の「おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」という古今和歌集の歌にちなんでこの名がある。
阿弥陀如来像が歩いた!振り向いた!しゃべった!っていうのが七不思議よりさらに不思議だと思うけど。ここには入らないんだね。
都市伝説と同レベルに扱ってよいものではないのじゃ。
永観堂 境内MAP
永観堂へのアクセス
京都市営バス5系統「南禅寺・永観堂道」バス停下車5分。
急行100系統・32系統「宮ノ前町」バス停下車5分。
地下鉄東西線蹴上駅から徒歩10分。
このあとは
昼食後、哲学の道を通って銀閣寺へ!
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