小堀遠州:江戸時代の建築家・造園家・茶人というスーパーマン

京都を始め各地に残る「小堀遠州の庭」。

まるで隈研吾さんのようですが、建築、造園、茶道のいずれの道でもその才能を発揮した小堀遠州は、ディレクターとして工事の監修をしつつ、その技術を弟子たちに伝えていったようです。

小堀遠州のプロフィール

本名 小堀 政一(こぼり まさかず)
生誕・死亡 1579年~1647年3月12日

1573年 父・小堀正次は、縁戚であった浅井氏に仕えていたが、この年の浅井氏滅亡後、羽柴秀吉の弟・秀長の家臣となった。

1579年 小堀作助(のちの小堀遠州)誕生

1585年 豊臣秀長が大和郡山城に移封されると、父・正次は家老となり、政一も共に大和郡山に移った。

1589年 郡山城内での千利休と秀吉の茶会で面前に茶を運ぶ

1595年 秀吉直参となって伏見へ。利休の高弟・古田織部に茶の湯を学ぶ。

1598年 秀吉死亡。正次・政一親子は徳川家康に仕える。

1600年 関ケ原の戦い。江戸幕府は松山城の城番に小堀正次・政一を置いた。

1606年 幕府作事奉行に

1609年 従五位下 遠江守に叙任。以後小堀遠州と呼ばれる。

1610年 駿府城天守、二ノ丸書院・数寄屋の再建

1611年ごろ 後陽成天皇、宣教師にヨーロッパの技術を遠州に教えるよう命ずる
宣教師:1549年(ザビエル)~1587年(バテレン追放令)、1603年~1622年

1612年 孤篷庵(龍光院:拝観謝絶)に黄金分割・キリシタン灯篭・竿フォンの原理の手水鉢が見られる

1615年 師・古田織部自刃。徳川秀忠・徳川家光の茶道指南役に。

1616年 日光東照宮造営

1618年 関白・近衛信尋の大和田御殿に二階建ての茶庭を設計

1623年 寛永度内裏(明正天皇・後水尾院の娘)の皇居に花壇を設ける

1624年 伏見奉行に任ぜられる。

1625年 二条城二の丸造営

1627年 金地院崇伝の依頼により、金地院庭園、東照宮社殿を作る

1628年 金地院に『三畳台目の茶室』を建てる。

1629年 江戸城本丸、西の丸の造営

1630年 寛永度仙洞御所に花壇、噴水、遠めがね等の西洋の意匠が見られる

1632年 伏見城南方清水谷にあった奉行所と六地蔵西町の自邸を、伏見城西方常磐町の富田信濃守屋敷跡に移転新築する。「成趣庵」は二つの茶室を廊下で連結したもので、高台寺の時雨亭に酷似している。

1635年 大徳寺方丈東庭「七五三の庭」(十六羅漢の庭)造営

1647年 没

【建築・造園】遠州好み、『奇麗さび』とは

遠州が操る西欧テクニックは、宣教師から伝えられたもの。

黄金分割 1対1.618 → 「三五の比」(1対1.6)として多用した

パースペクティブ 遠くに置くものを小さくしたり、柱間を狭くしていくことで遠近法を強調する

シンメトリー ルネサンス・バロック庭園の定番、左右対称。

幾何学的配置「雁行形」斜めにずらして配置

樹木の人工的な刈込

キリシタン灯篭

【茶道】子孫が伝える遠州茶道宗家

現在は小堀宗実さんが13世家元として活躍中です。

次女の優子さんも「小堀宗翔」さんとして、アスリートと茶道を繋ぐ活動をされています。

 

【参考】

「京都名庭を歩く」宮元健次

「京都格別な寺」宮元健次

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました