金戒光明寺は新選組でおなじみ京都守護職本陣となったお寺です。
法然上人が石に腰かけたところ、紫の雲が立ち上ったことから、この地に草案を結んだのが始まりです。
金戒光明寺
名称 | 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)通称くろ谷さん(くろだにさん) |
住所 | 京都府京都市左京区黒谷町121 |
宗派 | 浄土宗 大本山(総本山は知恩院)(南無阿弥陀仏) |
本尊 | 阿弥陀如来 |
人物 | 法然(法然寺上人のお墓がある) |
歴史上の出来事 | 1862年、幕末には京都守護職本陣として千人の会津藩士を収容した。 |
寺紋 | 杏葉(ぎょうよう)法然の父・漆間氏の家紋。母は秦氏と伝えられる |
拝観料 | 御影堂・大方丈・庭園:大人600円 山門:大人800円 セット券:大人1200円 |
公式サイト | https://www.kurodani.jp/about/ |
https://www.instagram.com/kurodani1175/ |
金戒光明寺 · 〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121
★★★★☆ · 仏教寺院
金戒光明寺の歴史
承安5年(1175年)春、浄土宗の開宗を決めた法然が比叡山の黒谷を下った。
岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。
すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。
そこで法然はうたたねをすると夢の中で紫雲がたなびき、下半身がまるで仏のように金色に輝く善導が表れ、対面を果たした(二祖対面)。
これにより、法然はますます浄土宗開宗の意思を強固にした。wikipediaより
阿弥陀堂
慶長十年(1605年)豊臣秀頼により再建。
当山諸堂宇中最も古い建物である。
恵心僧都最終の作、本尊阿弥陀如来が納められている。
如来の腹中に恵心僧都が彫刻でお使いになられたノミが納められていることから「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されている。
文殊菩薩と三重の塔
古く、くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重の塔に安置されていたが、平成20年に御影堂に遷座された。
この本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作。
アクセス
市バス 岡崎道下車(32・203・204系統)徒歩10分
市バス 東天王町下車(5系統)徒歩15分
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