後白河上皇が自身の離宮内に仏堂を建てようと考え、平清盛に作ってもらった三十三間堂。
後白河上皇のお父さん・鳥羽上皇も、平清盛のお父さん・平忠盛に三十三間堂を作ってもらっていたんです(鴨東白河・聖観音を祀る得長寿院千体堂、文治地震で倒壊)。
二代続いてのこの寄進は平氏の栄華の要因でしょう。
三十三間堂・蓮華王院本堂
名称 | 三十三間堂/蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう) |
住所 | 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 千手観音(国宝) |
創建 | 1165年(平安時代) |
人物 | 後白河上皇の離宮法住寺内に、平清盛に資材協力を命じて蓮華王院本堂を創建 |
国宝 | 本堂、千手観音坐像、木造千手観音立像1,001体、 |
重要文化財 | 南大門(1600年・豊臣秀頼)、太閤塀(豊臣秀吉の寄進) |
拝観料 | 大人600円 |
公式サイト | https://www.sanjusangendo.jp/statue/ |
本堂(国宝)
蓮華王院本堂は1249年の大火で焼失後、1266年に再建にされたものです。
鎌倉時代から残る建物は大法恩寺とここ三十三間堂だけ。
三十三の数字の由来
本堂の内陣の柱間が33あることから三十三間堂。外側は35の柱間があります。
「33」は観音菩薩が33種のフォルムチェンジで衆生を救うと『法華経』等に書かれていることから。
俗に「三十三間堂の仏の数は33,033体」というのは、本尊と脇仏の1,001体がそれぞれ33に化身するからだそう。
通し矢
本堂西側の軒下(長さ約121m)を南から北に矢を射通す弓術の競技。
安土桃山時代から行われ、江戸時代に盛んになったイベントです。
一昼夜での通し矢数の記録達成者は「天下一」と呼ばれました。
貞享3年(1686年)4月27日に紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13,053本中通し矢8,133本で天下一となり、これが現在までの最高記録です。
仏像
中央
「木造千手観音坐像 附 木造天蓋」として国宝に指定されています。
1251年~1254年 湛慶(たんけい)作。
湛慶この時82歳!
両サイド・裏
千手観音立像が本尊の左右500体ずつ、本尊の真裏に1体。
平安時代・創建時のもの124体と鎌倉時代・再建時のもの876体。
室町時代に1体追加。すべてが国宝。
湛慶作の像は10号、20号、30号、40号、520号、530号、540号、550号、560号の9体。
堂内最前列に安置されています。
日本最古の風神雷神像(国宝)
堂内左右に置かれた、風袋と太鼓を持ったこれらの像は俵屋宗達の『風神雷神図屏風』のモデルになったと言われています。
鎌倉復興期の作。
二十八部衆立像(国宝)
- 那羅延堅固(ならえんけんご)(金剛力士像の阿形)
- 難陀龍王(なんだりゅうおう)
- 摩侯羅(まごら)(八部衆)琵琶を持つ。
- 緊那羅(きんなら)(八部衆)鈸子(ばっし・シンバル様の楽器)を持つ。
- 迦楼羅(かるら)(八部衆)横笛を吹く。
- 乾闥婆(けんだつば)(八部衆)鼓を叩く。
- 毘舎闍(びしゃじゃ)
- 散支大将(さんしたいしょう)
- 満善車鉢(まんぜんしゃはつ)
- 摩尼跋陀羅(まにばだら)(八大夜叉大将)
- 婆藪仙(ばすせん)(千手観音の脇侍)
- 大弁功徳天(だいべんくどくてん)(千手観音の脇侍)
- 大梵天王(だいぼんてんおう)
- 帝釈天王(たいしゃくてんおう)
- 薩遮摩和羅(さしゃまわら)
- 五部浄居(ごぶじょうご)(八部衆の天)
- 金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)
- 神母女(じんもにょ)
- 金毘羅(こんぴら)
- 毘婆迦羅(ひばから)
- 阿修羅(あしゅら)(八部衆)
- 伊鉢羅(いはつら)
- 娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)(八部衆の竜)
- 密迹金剛士(みっしゃくこんごうじ)(金剛力士像の吽形)
- 提頭頼吒王(だいずらたおう)(東方天)
- 毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)(南方天)
- 毘楼博叉天(びるばくしゃてん)(西方天)
- 毘沙門天(びしゃもんてん)(北方天)
南大門(重要文化財)
南大門は1600年建立(桃山時代)。
虹梁の刻銘により、豊臣秀頼が新築したものと推測されています。
西大門は1601年、これも秀頼によって建てられましたが、1895年(明治28年)に東寺に移築され、南大門(重要文化財)となっています。
三十三間堂の伝説
長年頭痛に悩まされていた後白河上皇。
熊野参詣の折に、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。
そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。
上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。
「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。
この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称されるようになりました。
三十三間堂の御朱印
奉拝(謹んで拝むこと)
大悲殿(大慈悲の観音さまを祀る仏堂)
蓮華王院(正式名称)
と書いてあるそうです。
三十三間堂の感想
今回の京都旅行の中で最も感動したのが三十三間堂でした。
修学旅行で見たときには「金にものを言わせてこんなにたくさん作ってどうするんだろう」などと思っていましたが。
堂内に足を踏み入れると、びっしりと立ち並ぶ仏像の存在感に圧倒されます。
最前列の二十八部衆が持つ楽器が目に入ると、広いお堂の中は音のない音楽に満たされているように感じられてきました。
すると千手観音の頭の放射光は、これも沈黙の音波を伝えているかのように見えてきます。
お堂の中ほどで御朱印帳をお願いし、いったん外へ出ました。
外では修学旅行の生徒たちが写真を撮ったり、観光客が思い思いにくつろいだり。
こんな場所でも『鬼瓦』であってるのかな?
きかんしゃトーマスみたいな鬼瓦でした。
一休みして気を取り直したところで、御朱印をいただき、残り半分を拝観しました。
前半の不思議な感覚はどこへやら(笑)いっそのこと一気に拝観したほうが良かったかもしれません。
アクセス
京都市営バス(86・88・206・208号系統)「博物館三十三間堂前」下車、徒歩すぐ。
このあとは
秀吉の栄華の残る智積院へ。
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