【ずらし旅・見学準備】禅林寺(永観堂)

古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる紅葉の名所。

 

禅林寺(ぜんりんじ)

名称 聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん )無量寿院(むりょうじゅいん) 禅林寺

別名:永観堂

住所 京都府京都市左京区永観堂町48
宗派 浄土宗西山禅林寺派 総本山
本尊 阿弥陀如来(みかえり阿弥陀)
創建 853年
開山 真紹
国宝 絹本著色山越阿弥陀図 – 鎌倉時代の仏画。東京国立博物館に寄託。
金銅蓮華文磬(こんどう れんげもん けい) – 東京国立博物館に寄託。
重要文化財 木造阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)、絵画等多数
公式サイト http://www.eikando.or.jp/nenpyou.html
禅林寺 (永観堂) · 〒606-8445 京都府京都市左京区永観堂町48
★★★★★ · 仏教寺院

永観堂の歴史

空海(弘法大師)の高弟である真紹僧都が、都における真言宗の道場の建立を志し、毘盧遮那仏と四方四仏を本尊とする寺院を建立したのが起源である。

853年 真紹は仁歌人・文人であった故・藤原関雄の山荘を買い取る。

863年 清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。

【7世住持の永観(ようかん)律師(1033年 – 1111年)】
1044年 永観、禅林寺の深観(花山天皇皇子)に弟子入りし、東大寺で南都六宗のうちの三論宗を学ぶ。
三論宗には奈良時代の智光以来の浄土教の思想があるが、浄土の教えに感動した永観はやがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。
1072年 師深観の跡を受けて禅林寺に戻る。

永観は人々に念仏を勧め、また、東五条の悲田院の近くの薬王寺に阿弥陀像を安置して、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。
さらに当寺の境内にも悲田院(薬王寺)と施療院を建立し、梅の木を沢山植えて病人に薬用としてその実を与えた。

【見返り阿弥陀の伝承】

1082年、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。
驚いた永観が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。

1467-1477年 応仁の乱の戦火によって大きな被害を受ける

1497年 後土御門天皇により再興をするようにとの命が出て、復興に着手された。

1607年 豊臣秀頼により、摂津国四天王寺の曼荼羅堂が移築されて阿弥陀堂とされている。

1876年 禅林寺は浄土宗西山派の東本山となる。

1919年 浄土宗西山派はそれぞれの考えの違いから浄土宗西山光明寺派(西山浄土宗)、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の三つに分裂し、禅林寺は浄土宗西山禅林寺派の総本山となっている。

永観堂の見どころ

  • 釈迦堂
  • 唐門
  • 阿弥陀堂
  • 多宝塔
  • 悲田梅
  • 三鈷の松
  • 約3,000本のもみじ

永観堂 境内MAP

永観堂の七不思議

  1. 抜け雀(ぬけすずめ) – 古方丈の欄間に描かれた雀の絵が、向かって右端の欄間のみ一羽少なく、抜け出していったと伝えられている。
  2. 悲田梅(ひでんばい) – 永観律師が衆生を救うために植えられた梅と伝え、かつては梅林といえるほどであったが、現在奇跡的にこの一本のみ残っている。
  3. 臥龍廊(がりゅうろう) – 開山堂へ続く階段廊下は極端に湾曲し、龍がのびているように見える。
  4. 三鈷の松(さんこのまつ) – 臥龍廊の手前にある松は葉が三本にわかれ、しかも長い。古来財布にいれるとお金が貯まるとか、箪笥に入れると服が溜まるといわれる。
  5. 木魚蛙(もくぎょかえる) – 境内に棲む蛙の鳴き声がまるで木魚を叩いているように聞こえる。その声を聞いたものはたくさんいるが、姿を見たものは一人もいないという。
  6. 火除けの阿弥陀如来 – 応仁の乱をはじめ数々の戦乱で堂宇が焼失しても、この阿弥陀だけは焼け残って現在に伝わるという。
  7. 岩垣もみじ – 永観堂裏の急斜面から生えている紅葉。同寺が建立される以前、この地に住んだ藤原関雄(ふじわらのせきお)の「おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」という古今和歌集の歌にちなんでこの名がある。

永観堂へのアクセス

京都市営バス5系統「南禅寺・永観堂道」バス停下車5分。
急行100系統・32系統「宮ノ前町」バス停下車5分。
地下鉄東西線蹴上駅から徒歩10分。

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