永観堂から哲学の道を歩いて銀閣寺へ。
琵琶湖疏水分線に沿った遊歩道をゆっくり歩いて30分ほどでした。
哲学の道
哲学の道は1890年、東山山麓の若王子橋から浄土寺橋までの約1.8km散策路として作られました。
永観堂から銀閣寺まで、と考えていいね。
1968年、地元住民の声に京都市が答え、環境保全整備が図られました。
1986年には『日本の道100選』に選ばれています。
お花を載せた笹船が流れてきました。
右手には『大豊神社』があります。
お社の前には狛犬ではなく『狛ねずみ』『狛蛇』『狛狐』が並びます。
猫ちゃんとお詣りしている方がいらっしゃいました。
慈照寺(じしょうじ・銀閣寺)
名称 | 慈照寺(じしょうじ・銀閣寺) |
住所 | 京都府京都市左京区銀閣寺町2 |
宗派 | 臨済宗相国寺派 |
本尊 | 釈迦如来 |
開山 | 夢窓疎石(勧請開山) |
創建 | 1490年 |
開基 | 足利義政(1436年ー1490年 |
国宝 | 慈照寺銀閣、慈照寺東求堂(附:棟札) |
重要文化財 | 絹本著色春屋妙葩像 |
特別名勝 | 慈照寺(銀閣寺)庭園 |
拝観料 | おとな500円 |
公式サイト | https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/ |
歴史
足利義政が将軍であった時代、戦乱と大飢饉で民は苦しんでいました。
しかし義政は花見に興じ、容赦なく税を取り立てます。
1481年。妻子を捨てった義政は京都東山・浄土寺の墓地を没収すると、豪奢な『東山殿』の建築にかかります。
これが現在の銀閣寺。
西芳寺(苔寺)に魅せられた義政は、西芳寺を模した上下二段構造の庭園を造りました。
これは、祖父の足利義満が西芳寺を模して金閣寺を建てたのと同じです。
さらに義政は、ここに金閣を模した観音堂(銀閣)を建てました。
金閣と対になる『銀閣』と呼ばれていますが、銀箔は貼られていません。
さらに、京都・奈良の寺社からは大量の松、ヒノキ、蓮、松、庭石を略奪しまくりました。
そうやって完成させた銀閣寺ですが、1490年、義政は完成の直前に亡くなってしまいます。
すると略奪された樹木や石を取り返しに持ち主が現れ…義政の作った建造物で今に伝えられているのは銀閣(観音堂)と東求堂(とうぐどう・阿弥陀堂)の二つだけです。
銀閣寺のみどころ:銀閣寺垣
銀閣寺の総門を入るとすぐに参道は右に折れ、これも有名な銀閣寺垣が左右に高々として、下部は石垣、中段は竹垣、上段は椿の生垣の意匠がみごとに中門に続く。この参道を歩いていても全く寺内のようすは垣間見ることができない。そのために焦慮感とでもいうような高ぶりをいつも感じる道である。
参道の両側は視界が遮られたまま、この距離を歩くと、まさに別世界へ一歩また一歩と踏み込んでいくような心地になります。右側の面状の刈込も見事です。
西芳寺の参道を真似て作られているそうじゃ
銀閣寺のみどころ:向月台(こうげつだい)
月待山に上る月を愛でるための向月台は、1615年の宮城丹波守豊盛による再建時に加えられたもの。
高さ180㎝の砂山は毎日手入れがされています。
銀閣寺のみどころ:銀沙灘(ぎんしゃだん)
銀沙灘は潮の満ち引きを繰り返す海の意匠。
銀沙灘に使われている砂は『白川砂』という石英を多く含むもの。
日光、月光を照り返し、銀閣を照らすレフ板の働きをしているのでしょうか。
銀閣寺のみどころ:銀閣!(観音殿)
錦鏡池のほとりに立つ観音殿。
屋根の上の鳳凰。金銅製ということです。
銀閣寺のみどころ:東求堂
銀閣寺のみどころ:庭園
下段の庭園では池の周りの苔がとても美しいです。
植栽の手入れをされている方たちは、苔や砂地に入る際に、靴の裏まで気を遣っている様子が見られました。
綺麗な庭に雑草の種が入り込まないようにしているのかな?
観光客も通路を守って行動しないとね!
古の貴族たちは、自分の庭に山奥のような風景を作りたかったのでしょうか?
静かな山の渓谷のようです。
『千代の槇 樹齢五百年』と書かれた樹木発見。
1490年創建のころからあるのでしょうか?
略奪してきた木ではなかったと見えますね(笑)
京都のお寺はスケールが大きいですね…
上段の庭園から銀閣、銀沙灘、方丈、東求堂が見下ろせます。
銀閣寺の拝観券はまるでお札!
これは立派なお札です(笑)
ですので、頭より高い位置で南向き、あるいは東向きに貼るのが良いそうです(yahoo知恵袋より)。
しかし、不要な場合は境内の『お札回収箱』で処分していただくことができます。
縦22.5cm、横7.5cmほどの立派なものだよ。
このあとは
新選組ゆかりの金戒光明寺へ。
京都市バス『銀閣寺道』~『岡崎道』
コメント